ワインの世界では全体的な比率ではまだまだ女性は少ないですが、中には世界から注目を受ける素晴らしい女性醸造家たちがいます。ここでは、日本と海外から、管理人おすすめの女性醸造家を10人ご紹介します。手土産やプレゼントにもおすすめの女性醸造家が造る絶品ワイン。是非女性ならではの繊細さ、柔らかさ、芯の強さをワインから感じ取ってみてください。
日本・山梨県/ドメーヌ・ミエ・イケノ/池野美映
池野美映さんは長野県出身。もともとは雑誌の編集者で、2001年に心機一転フランスのモンペリエ大学に留学し栽培醸造学を学びます。卒業後はヴージョのドメーヌで働くなどして経験を積み、2011年に念願の自身のワイナリー「ドメーヌ・ミエ・イケノ」をオープンさせました。女性ひとりでオーナー兼栽培醸造責任者としてワイナリーを建設するのは国内初めてのケースとのこと。池野さんのこだわりは「自然に負担をかけない、本来のぶどうの味がするワイン」。収穫量を減らして凝縮感を高め、ワイン用の果汁はポンプを使わずに高低差で移動させる「グラヴィティ・フロー・システム」を採用するのもそのためです。こだわり通り、池野さんのワインからはぶどうの旨みが生き生きと感じられ、繊細ながらも力強い味わいが魅力。ワインのラベルのギザギザは、八ヶ岳の稜線をイメージしたものというのも洒落ています。残念ながらワインは生産量が少ないこともあって入手困難。「星野リゾート リゾナーレ 八ヶ岳」のレストラン「オット・セッテ」では楽しむことができます。
フランス・ブルゴーニュ地方/ドメーヌ・シモン・ビーズ/ビーズ千砂
ビーズ千砂さんは1967年東京生まれ。上智大学フランス語学科卒業で、卒業後はフランス商業銀行に勤務します。その後縁あってサヴィニー・レボーヌの名門ドメーヌ「シモン・ビーズ」に嫁ぎ、ドメーヌのマダムとして、営業と販売を担当することとなりました。しかし、歴史的大凶作の2013年10月、夫でありドメーヌ当主のパトリック・ビーズ氏が、心労のためか車の運転中に心臓発作を起こし交通事故で亡くなるという悲劇が起こります。その直後は「シモン・ビーズの畑が売りに出されるぞ」とブルゴーニュ中で噂になるほどドメーヌの存続が危ぶまれましたが、千砂さんは当主としてドメーヌを継ぐことを英断。大変な苦労があったことは想像に難くありませんが、故パトリックの妹マリエルさん(※ヴォーヌ・ロマネのドメーヌ・ジャン・グリヴォに嫁いだ)と力を合わせ、懸命にドメーヌを守っています。守るだけでなく、一部の畑でビオディナミを採用するなど攻めの姿勢も忘れていません。またソムリエ志望だった息子のユーゴ君も将来は家業を継ぐことを決意するなど明るいニュースもあり、試練を乗り越えたドメーヌの今後が楽しみです。
日本・山形県/タケダ・ワイナリー/岸平典子
岸平(きしだいら)典子さんは1966年山形県上山市生まれ。タケダワイナリーの前当主、武田重信氏の長女です。玉川大学農学部で応用微生物学を学び、1990年に渡仏。ワイン醸造を4年間学び帰国後、4歳年上の兄、伸一さんが経営を、典子さんが栽培・醸造を担当し、若い世代の二人三脚が軌道に乗りつつありました。しかし1999年、兄の伸一さんが事故で36歳の若さで他界するという不幸がタケダワイナリーを襲います。生涯一醸造家でありたいと思っていた典子さんも経営に携わることになり、2000年に取締役兼栽培・醸造責任者、2005年に代表取締役社長に就任しました。モットーは「良いワインは良い葡萄から」。山形のテロワールを表現することを目指して土造りから徹底的に自然農法にこだわり、ブドウの選果にも妥協を許しません。「ドメイヌ・タケダ《キュベ・ヨシコ》」は日本初の瓶内二次発酵(シャンパーニュ方式)のスパークリングワインで、2008年の洞爺湖サミットで供されたことでも話題になりました。
日本・山梨県/中央葡萄酒/三澤彩奈
三澤彩奈さんは1980年、山梨県勝沼の中央葡萄酒の4代目当主、三澤茂計氏の長女として生まれます。2005年にボルドー大学醸造学科に留学、その後ブルゴーニュや南アフリカで経験を積み2007年に帰国。現在実家の中央葡萄酒で醸造責任者を勤めています。父の茂計氏とは衝突することも多いとのことですが、甲州の垣根仕立てを軌道に乗せたのは彩奈さんの大きな功績。垣根仕立ての甲州は香りに厚みと広がりがあり、ピュアな味わいで余韻も長く絶品です。「キュヴェ三澤 垣根仕立」は、オンリストされている京都の料亭「なかひがし」で「お出汁に合う完璧なワイン」と絶賛されたことでも知られています。また彩奈さんは世界に通用する甲州を目指しており、プロモーション活動にも積極的。2014年にはめでたく、シンガポールのラッフルズや香港のペニンシュラ等の一流レストランに「グリド甲州」等いくつかの銘柄がオンリストされました。
フランス・ロワール地方/ボワ・ルカ/新井順子
1961年東京都生まれ、新井順子さんの経歴はなんともアグレッシブ。短大卒業後、一般企業に就職するも数年で退職し、サッポロビールのワインコーディネーターからワインコンサルタントになり、1991年にプライベートのワイン教室「オドゥール・ワインサロン」を開きます。1996年にボルドー大学醸造学科に留学、98年に帰国し自由が丘にワインレストランを開くも、2001年にロワール地方に畑が買えると言う話を聞くや店をを売却。フランスに移住し、2002年に畑を購入、自身のドメーヌ「ボワ・ルカ」を設立し、ワイン醸造家に転身します。彼女は完全自然農法のビオディナミを採用していますが、その理由は「この農法が正しいかどうかを実際に自分の手で実践してみたかった」からだそうです。それは確かに正しかったようで、「ボワ・ルカ」のワインはフランスでも評価が高く、フランスやドイツのミシュラン三ツ星レストランにオンリストされています。
タイ・モンスーンヴァレー/サイアム・ワイナリー/キャスリン・パフ
キャスリン・パフさんは1979年ドイツ生まれ。ドイツとイタリア二つの大学で栽培と醸造を学ぶ傍ら、1999年からドイツのワイナリーでワイン醸造に携わります。2001年にはイタリアでいくつかのワイナリーを渡り歩きキャリアを重ね、2004年から2007年まで勤めたキャンティ・クラシコで名高いトスカーナのディエヴォレでは醸造責任者に昇りつめます。またその間には、腕を買われスポットでニュージーランドのワイナリーで醸造に携わる機会を得ますが、ニュージーランドという新世界でのワイン醸造の技術や文化に触れたことは、醸造家としてのキャスリンの視野を大きく広げることとなりました。2007年にはタイのサイアム・ワイナリーからのオファーを受けるとタイに移住を決意。ワイン造りには不向きと思われている熱帯地方でのワイン造りに意欲を燃やし、数々の銘柄が国際コンクールでメダルを受賞をするなど、早くも結果を出しています。
イタリア・ウンブリア州/ルンガロッティ/テレーザ・セヴェリーニ&キアラ・ルンガロッティ
ウンブリア州のワイナリー「ルンガロッティ」の創業は1950年と歴史はさほど古くありませんが、成り立ちが風変わり。創業者である父のジョルジョ氏は歴史学者の母と共に、まずワイン博物館を造り、次に泊まれるところ、食事できるところ…というようにして最後にワイナリーが造られました。しかし実力は確かで、ウンブリア州の「トルジャーノ・ロッソ・リゼルヴァ」が1990年にDOCGに格上げになったのはルンガロッティの功績が大きいと言われています。そんなワイナリーに生まれたのが、二人姉妹のテレーザさんとキアラさん。共にペルージャ大学で農業学を専攻し、卒業後はボルドー大学で、テレーザさんが醸造学を、キアラさんが栽培学を学び、共に実家のワイナリーに入社します。1999年父の死後は、テレーザさんが醸造責任者に、キアラさんがCEO兼栽培責任者に就任(このとき27歳!)。2011年にはイタリアの経済紙の「イタリアワインTOP100」の赤ワイン部門で「ルベスコ・ヴィーニャ・モンティッキオ・トルジャーノ・ロッソ・リゼルヴァ」が2位になるなど、今日も姉妹二人三脚でルンガロッティの名声をさらに確固なものにしています。
スペイン・カタルーニャ州/セラー・エスペルト/アナ・エスペルト
アナ・エスペルトさんは1976年カタルーニャ州最北端のエンポルダの生まれ。エスペルト家は古くからブドウの栽培農家でしたが、アナさんが幼少の頃はワイン醸造は行っていませんでした。アナさんはアメリカで栽培と醸造を学び、栽培学の修士課程の一環として、1998~2002年の間に実家の畑に国際品種のシラー、ガルナッチャ、ムールヴェードルなどを植えます。その間の2000年に父のダミヤン氏がワイナリーを設立。彼女はその後アメリカとオーストリラリアで経験を積み、実家に戻るとほどなく、オーナー兼醸造責任者としてワイナリーを継承しました。アナさんの造るワインはすぐに評判になり、伝説のレストラン「エルブジ」の他いくつもの星付きレストランにオンリスト。今やスペイン女性醸造家四天王の一人に数えられるまでになっています。
フランス・ブルゴーニュ/ドメーヌ・シルヴィ・エモナン/シルヴィ・エモナン
シルヴィ・エモナンさんは1961年、ブルゴーニュのジュヴレ・シャンベルタン村でブドウ栽培農家のもとで生まれました。エモナン家は、特級畑をしのぐと言われる名高い一級畑クロ・サン・ジャックの5件の保有者のうちの一つ。父ミシェルはドメーヌの創業者ですが、当初は造ったワインの大半をバルクでネゴシアンに卸していました。シルヴィはディジョンで醸造学を学ぶと、ボルドーやニュージーランドで醸造コンサルタントとして経験を積み、1989年に実家に戻りドメーヌを継ぎます。シルヴィは、製造するワインのネゴシアン卸しを止め、ドメーヌ元詰め(ドメーヌ名での販売)に大きく方針転換。また畑の有機化にも取り組み、シルヴィの造るワインは高い評価を受けるようになりました。彼女は同業者のドミニク・ローラン氏と結婚。ドミニク氏は”樽の魔術師”との異名を持ち、高品質の新樽を使うことで知られていますが、この樽はシルヴィのワインにも使われています。ワインの味わいは樽がしっかり効いていますが、それに負けない豊かな果実味があり、どっしりとした力強いスタイルです。
フランス/Ch.ラ・ラギューヌ&ポール・ジャブレ・エネ/カロリーヌ・フレイ
カロリーヌ・フレイさんは1980年シャンパーニュの名家の生まれ。父は不動産業でしたがブドウ畑も所有しており、毎年秋には収穫を手伝うなど、子供の頃からワイン造りが身近にある環境で育ちます。また子供の頃は乗馬に熱中し、大会で優勝するほどの腕前だったとのこと。そしてボルドー大学に進学すると醸造学を学び、なんと2003年に主席で卒業。一方、ボルドーの実家のフレイ家は2000年にメドックの3級格付け「Ch.ラ・ラギューヌ」を買収。2004年にカロリーヌさんが醸造責任者に就任すると共に、カロリーヌさんの大学の恩師ドゥニ・デュブルデュ教授をコンサルタントに迎えます。ラ・ラギューヌは戦後評判を落とした後いくつかのオーナーに転売を繰り返され、再建が図られてきましたが、カロリーヌさんが手がけるようになって完全復調。ワインは格段に洗練され、ワインアドヴォケイト誌では2003年まではほぼ80点台だったスコアも2004年以降はほぼ毎年90点以上を叩き出すようになっています。フレイ家は2006年にはローヌ地方の老舗「ポール・ジャブレ・エネ」をも買収。カロリーヌさんはボルドーとローヌを行き来する忙しい日々を送っています。